酒造業の文明論的考察(2016年5月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜

(1)日本酒業界の危機的状況はいかにしてもたらされたのでしょうか

日本酒市場の縮小は昭和50年頃より今日まで長期に続いていますが、その原因はいろいろ考えられます。例えば、食生活の変化(米消費の減少、外食、中食の増加、伝統や地域性の希薄化)、生活様式の変化(消費者ニーズの変化、商品選択の多様性)、グローバル化の進展(日本人意識の国際化)、人口減少と高齢化(飲酒量の減少)、社会的規制の強化(飲酒運転の厳罰化、健康志向の高まり)等が考えられます。しかし、これらの原因はもっと日本人の深層にある根本的原因によって現れた現象ではないかと考えられないでしょうか。

(2)日本酒文化の衰退の根本的原因はどこにあるのでしょうか

日本文化の一つである日本酒の衰退の根本的原因は、どこにあるのでしょうか。それは、太平洋戦争敗戦によるアメリカ軍とアメリカ文明の怒涛の蔓延によって、これまでの日本文明が否定され、日本人の意識に甚大なダメージを与えた結果ではないかと考えられます。約7年に亘るアメリカ軍による軍事占領と強烈なアメリカ文明の上陸によって、またその結果もたらされた日本の文化、価値観、歴史観、モラルなど日本文明の否定によって、戦後の日本文明の大きな方向性が「アメリカ化」に向かうことになったせいなのではないか。

「アメリカ化」はアメリカ資本主義に見られるように、富の拡大に全てのエネルギーを集中する物質主義を基本的な価値観としており、敗戦によって丸裸になった日本人は、物質的繁栄を第一とし、この「アメリカ化」を安易に受け入れ、これまでの伝統的日本文化と隔絶することに喜びを感じるようになってしまったのではないか。すなわち、飲酒文化においては、日本の酒文化より、ウイスキー、ブランディー、ワイン、ビールなどの西洋の酒を嗜好することに新しい喜びというか、カッコよさを感じるようになったのではないかということです。

確かに「酒」は頭で飲むものであるといわれますが、日本人の中にワイン、ウイスキー、ブランディーなどの西洋の酒のほうが、日本の清酒、焼酎よりも「上等な飲み物」で「カッコいい」という意識が「アメリカ化」の中から生まれ、増えてきたのではないかと思われます。この「上等な酒」というランクづけの意識がお酒の選択の上で大きな役割を果たし、端的な例として、外国旅行の土産にワイン、ウイスキー、ブランディーなどがもてはやされるようになりました。

(3)日本人の精神構造である「文明の変換システム」は作動することができるのでしょうか

過去の日本人の軌跡を振り返ってみると、「縄文から弥生へ」、「仏教と神道と儒教の習合」、「明治維新の和魂洋才」など、大陸の辺境に住む日本人は、日本列島を覆う日本人の文明力という防御網によって、中国や西洋から押し寄せる異文明を一旦受け止め、咀嚼し、外国とは同じではない、独自の日本文明を作ってきたといえるのではないでしょうか。この精神構造こそ、日本人特有の「文明を変換するシステム」だったのではないかと考えます。このシステムによって日本文明はハンチントン教授のいう「孤立する日本文明」と「西欧化しない日本」を築き上げてきたといえるのではないかと思います。

「文明の衝突と21世紀の日本」というハンチントン教授の本には、日本文明の特徴を、「第一に日本文明が日本という国(日本文化)と一致しているがゆえに、日本は孤立した国家であること。第二に最初に近代化に成功した最も重要な非西欧の国家でありながら、西欧化しなかったこと。」と書いています。

しかし、戦後の日本は、アメリカによる直接の占領統治によって、日本人の精神構造である「文明の変換システム」が働く間がなかったのではないかと考えられます。

ここで、戦後の経済を振り返ってみれば、占領経済、高度経済成長、そして、バブル経済と日本人は経済的な豊かさを享受することができました。ところが、

今日の日本の状態を見ると、バブル経済が崩壊し、失われた二十年と呼ばれるようになり、新しい価値観や社会像を見いだすことができずに漂流いるように見えます。かってアメリカの物質文明を最高の価値と考えて模倣してきた日本人にとって、豊かになり、次の新しい時代に相応しい価値観を見出そうとしているにもかかわらず、その方向性は確かではありません。

今こそ、戦後七十年目を迎えた日本人は、日本人の精神構造である「文明の変換システム」をうまく作動させることによって、新しい日本文明を構築する時がきているのではないかと考えます。

(4)「文明の変換システム」を作動させることが、日本文明を救うことになるのでしょうか

今日の行き詰まった日本文明を救うためには、日本人の持つ「文明の変換システム」を意識的に作動させることによって、日本人としての確固たる精神文化を再構築することが求められていると思います。歴史を動かす力は「人間の精神力」であり、その精神力が「時代の生活形態」を作っていくのであると考えられますが、この日本の危機的状況を克服するために、日本人の特徴である「文明の変換システム」をもっと作動させて、新しい時代に適応した日本文明を築きあげなければならないと思います。

(5)日本の酒業界で「文明の変換システム」を作動させるとはどのようなことなのでしょうか

戦後の激しい変化を経験してきた私たちには、日本酒の古きよき時代をもう一度期待して、懐古主義や規制保護に逃げ込むことはできません。古い殻に戻るのではなく、「文明の変換システム」を作動させて、新しい事業機会を見つけ、時代の変化に適応した新しい酒造業界を築いていかなくてはならない時だと思います。

明治維新の時代、攘夷から開国に方針を変え、富国強兵、欧米諸国と対等に亘り合おうとした明治の人びとのチャレンジ精神と着実な努力こそ、平成の今日私たちの見習うべきことではないでしょうか。

さて、日本の酒業界における「文明の変換システム」とは、外国から入ってきた西洋の酒文化を賞賛し、模倣することではなく、日本の酒文化と西洋の酒文化を冷静に比較検討し、優れている点は取り入れ、日本人に合う形に作り直すことです。

「コア・コンピタンス」(他社には提供できないような利益を顧客にもたらすことのできる企業内部にある独自のスキルや技術の集合体のこと)という言葉がありますが、日本の酒造りのコア・コンピタンスを中心において、外国から入ってきた酒文化のよさを取り入れることによって、新しい日本の酒文化を再構築していくことが、「文明の変換システム」といえるのではないかと考えています。

日本人の好む酒とはどのようなものなのか。日本の食文化に相応しい酒とはどのようなタイプの酒であるのか。自由貿易の進展によって、外国の酒の浸透する中において、日本の酒はどういうコンセプトの酒を提供していけばよいのか。

日本の酒の「文明の変換システム」を作動することの本当の意味を明確に認識することが、酒類業の発展の根本的課題であると考えています。

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