岡山地酒祭挨拶(米と酒の歴史と文化)(2010年5月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下 附一竜

 本日は、岡山地酒祭にご参加いただき誠にありがとうございます。冬の間の寒く、厳しい酒造りも終わり、香りの高い、ふくよかな新酒が出来上がり、一段落している今日この頃ですが、今夜は岡山支部の酒造家五社の地酒と郷土料理のマッチングを堪能していただき、楽しい一夜を過ごしていただければ幸いです。

本年の秋には、第25回国民文化祭が岡山県において開催されることになっていますが、マスコットキャラクター「ももっち」にも参加いただき、この会を盛り上げていただいています。

さて、私の敬愛する故坂口謹一郎先生は「日本の酒」という本の中で、「世界の歴史をみても、古い文明は必ずうるわしい酒を持つ。すぐれた文化のみが、人間の感覚を洗練し、美化し、豊富にすることができるからである。それゆえ、すぐれた酒をもつ国民は、進んだ文化の持ち主であるといっていい。」と述べられていますが、酒造家として、私たちは、うるわしい、すぐれた酒をつくることによって、酒を人間の精神を高める文化として飲んでいただけるように努めなければならないと考えています。 そこで本日は、少し長くなりますが、米と酒の歴史と文化についてお話をさせていただきたいと思います。

  1. 世界の食文化を大きく分けると、コメとムギの文化圏に分かれますが、温暖湿潤な気候の日本において、日本人はコメを主食に選びました。中国や朝鮮半島では、日本ほどコメに固執せず、米と麦の混合食文化を築いてきたと考えます。例えば、中国の伝統酒である紹興酒や韓国の大衆酒であるマッコリには、原料として、麦と米が使われています。酒造りも大陸から伝わってきたといわれますが、米麹を使い、100%米の酒は日本人の独創であるといえます。こよなくコメへ集中傾斜してきた日本人のコメの歴史は、「日本の歴史」であるといっても過言ではないと考えますが、その反動でしょうか、今日、コメ離れが起こり、パンや麺類などムギ文化が隆盛になっています。これから日本の食文化はどちらの方向に進んでいくのでしょうか。
  2. 今から約2500年前、水田稲作が中国や朝鮮半島より日本に伝わり、縄文人と異なる、稲作を基調にする弥生文化が形成されましたが、この頃、米を原料にした日本の酒造りも始まったと考えられます。
  3. 日本の三世紀前半の卑弥呼のことが書かれている「三国志」の「魏志倭人伝」の中に、倭人は「歌舞飲酒する」とか「酒を嗜む」と書かれていますが、これが日本の酒について最初に書かれたものだといわれます。
  4. 古墳時代から古代律令国家の時代になると、朝廷では宮中造酒司をおき、宮中の祭事、節会、儀式に使う酒を造っています。
  5. 中世になると、貴族、大寺院、そして武士による荘園制度からの年貢米による酒造りが広がり、「天野酒」や「菩提泉」などの寺院の酒が有名になり、中世の酒造りの醸造技術が今日まで伝えられています。
  6. 豊臣秀吉の太閤検地によって、中世の荘園は消滅し、米を経済システムの根幹に置く、近世社会の石高制社会に移行します。
  7. 江戸時代になると米の価格統制上、たびたび酒造統制が行われ、酒造業の発展に甚大な影響を与えることになります。
  8. 明治時代になると、国家の目標は「富国強兵」となり、戦争の度に酒税の大増税が行われました。日清、日露戦争は酒税で戦ったとよくいわれますが、明治32年には、地租を抜いて酒税が国税収入の35%でトップになっています。
  9. 第二次世界大戦後も、昭和40年ごろまで食料不足は続き、昭和17年に創設された食料管理制度は、平成7年まで続くことになります。神崎宣武先生は「酒の日本文化」という本のなかで、「戦前の農村では、少量の米に雑穀や根菜を混ぜて炊いた「かてめし」や「雑炊」を主食にしていたのであり、日本人が腹一杯ごはんが食べられるようになったのは、戦後の高度経済成長以後である」また「飲酒の習慣が確立されるのは日清、日露戦争の後である」といわれています。戦後の高度成長によって、腹一杯ごはんが食べられるようになって、米を最も神聖なものとみなしてきた日本人が、米をありふれた日常的商品とみなすようになったことは、まことに皮肉なことであり、同じことは、米の酒である日本酒にもいえることであり、ありふれた日本酒は、その地位を大幅に後退させています。
  10. 先ほど、お話したように、江戸時代には頻繁に酒造統制令が出され、酒造家は大変苦労するのですが、宝暦4年(1754)と文化3年(1806)には、逆に、米の豊作が続き、米価が下落したため、「勝手造り令」が発令され、酒造りが自由化されています。この時を捉えて、新興酒造地である灘地方の酒造家が、飛躍的発展を遂げることになるのです。灘酒の発展は、足踏み精米から水車精米による高精白米と宮水の発見による品質の向上や、樽廻船による迅速な江戸への廻送などによってもたらせられたといわれています。
  11. 食管法の廃止により、米の取引は自由になり、米価の下落した現在は、江戸時代の「勝手造り令」の時代に似ていると思います。この機会を捉えて、岡山の米と酒の提携強化によってイノベーションをおこし、岡山の酒の飛躍的発展を実現することは可能だと考えています。
  12. さて、長々とお話してきましたが、米の統制による酒造規制や過酷な酒税負担などの日本酒を覆ってきた長い歴史的桎梏を取り除き、「酒は文化なり」というという理念を確立し、酒本来の価値を徹底的に追求していくことが、酒造業復活のキーストーン、かなめ石であると信じています。

終わりにあたり、本日ご臨席いただきました皆様に再度お礼申し上げ、皆様のご健勝とご多幸をお祈り申しあげまして私のご挨拶といたします。

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