酒造米のルーツ「雄町米」(2009年11月号)
宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜
(1) 酒造米のルーツといわれる「雄町」は、備前国上道郡高島村雄町(現在の岡山市中区雄町、弊社のごく近く)の篤農家岸本甚造が、1859(安政6)年伯耆大山へ参拝した帰りに見つけた2本の穂を持ち帰り、選抜を重ねて、1866(慶応2)年「二本草」と命名したものの直系の子孫で、1922年に純系分離されたのもが「雄町」といわれている。戦前は酒米として普及したが、戦後は衰えたが、1990年以降高級酒向けに需要がたかまっている。
(2)全国で栽培されている酒米の品種は、48品種を数えるといわれていますが、その中で生産面積が一位は「五百万石」、二位は「山田錦」、三位は「美山錦」、四位は「兵庫北錦」、五位は「八反錦」となっており、この五品種で酒米総生産面積の約80%をしめている。
(3)「山田錦」は、1923(大正12)年、兵庫県立農事試験場において、「山田穂」を母に、「短稈渡船」(たんかんわたりぶね)を父として、西海重次技手が人工交配を行い、藤川禎次ら大勢の手を経て、1936(昭和11)年「山田錦」が誕生した。「渡船」は1895年に滋賀県立農事試験場において「備前雄町」から選抜された系統で、倒伏しにくいものを「短稈渡船」とよんでいる。従って、「山田錦」は「雄町」の系譜の中にあるといえる。
(4)「五百万石」は、1938(昭和13)年、新潟県農業試験場において、「菊水」を母、「新200号」を父として人工交配され、以後、系統育種されている。母本の「菊水」は「雄町」の子であり、「兵庫北錦」は「五百万石」を母本としている。このように総観すれば、「雄町」が酒造好適米の源流というか、ルーツであることが明らかである。
(5)明治初期以来、西日本では「雄町」が、そして、東日本山形県においては、「亀の尾」が珍重された。「亀の尾」からは、「美山錦」がうまれている。
(6)「雄町」は、現在、岡山県で90%、広島県で10%作られているが、岡山県に立脚する酒造家として、酒造米のルーツである「雄町」の活用を今後一層考えていきたい。