「大和魂」と「酒造家魂」(2004年9月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜

 安政六年(1859年)十月二十六日、処刑の前日吉田松陰が江戸伝馬町の牢内で書き上げた遺書である「留魂録」(りゅうこんろく)の冒頭には、「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」という和歌が書かれています。

 ところで、この歌の「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」の「大和魂」という言葉によって、松陰は何を表現しようとしたのでしょうか。

 当時、松陰は、黒船来航によって、日本の将来に危機感を感じるようになり、幕府とか藩とかのレベルでなく、日本国の存続こそがもっとも大切なことだと考えるようになったのではないかと思います。松陰は長州藩主毛利慶親(よしちか)に提出した上書の中において、日本国は幕府の私領にあらずして「天下は天下の天下なり」と明言しています。

 大和魂の言葉の中に、身を捨てても日本国に尽くそうとする日本人としての覚悟を感じることができます。幕末の志士たちは、自分の一身を投げうっても、大義に生きることが大切であるという松陰の意志を引き継いで維新を実現したのではないかと思います。

 ペリー来航をうけ、攘夷から開国へ、そして西洋文明がなだれをうって入ってきた明治時代になっても、大和魂を失うことなく「和魂洋才」でやっていこうとした明治人の精神の中に、松陰の大和魂が生きていたと思います。

 翻って、終戦から六十年を迎えようとする日本の現状は、「グローバリゼーション」と呼ばれる現象のもとで「国家観の喪失」が大きな問題となっています。

 幕末から明治時代にかけて生まれた、日本の魂を失うことなしに、西洋文明を取り入れようとする「和魂洋才」の精神は今日消滅しつつあり、日本人の精神構造の中に西洋文明をすべてよしとする「洋魂洋才」が居座るようになってきているように思われます。敗戦によるトラウマがおおきな原因とはいえ、こうした今日の状況を見たら、松陰はどのように思うことでしょうか。

 幕末の日本が持っていたしっかりとした精神の世界を、今日の日本はもう一度回復させることが必要なのではないでしょうか。

 さて、ここでわが清酒業界の現状を振り返って見ますと、その衰退は目をおおいたくなるほどで、まさに危機的状況にあるといえると思います。今日の状況は、単なる清酒離れという表面的な現象というよりも、何か大きな地殻変動が起こっており、その対応を誤れば業界の崩壊に通じるような危険性を感じます。

 それは、日本人が日本の魂を失い、「日本国」を喪失していくのと同じように、日本人が「日本酒」を忘れていくこととだぶって私には見えるのです。

 日本酒の復活のためには、日本人の精神構造にまで踏み込んで考えないと対応が難しいところまできているように思います。そして、日本酒の再生のためには、吉田松陰が持っていた「大和魂」といったものを、現代の人々に改めて見直してもらうことが最も大切なことのように思えるのです。

 そして、そのためにはまず、私たち自身がこの混乱期を乗り越えることのできる強い精神力を持ち続けること、すなわち、「酒造家魂」の再生を図り、この危機をチャンスに変えていくことだと思います。

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