高貴な実験について(2004年2月号)
宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜
アメリカでは、1920年1月17日、合衆国憲法修正第18条(以下、第18条と略称)とその執行法である「全国禁酒法」(National Prohibition)が効力を発しました。そして、1933年12月5日憲法修正第21条によってこの「禁酒法」が廃止されるまで、約14年間に亘って「高貴な実験」が行われました。
この第18条によって禁止されたのは,「酒類(intoxicating liquors)を飲用目的で製造、販売、運搬、輸出、輸入すること」でした。つまり、禁酒法はアルコール飲料の製造や販売などを禁止した法律で、飲酒行為を禁止したものではなく、密造酒を買って飲むことは違法ではなかったのです。
禁酒法に賛成者を「ドライ派」と呼び、反対者を「ウェット派」と呼びますが、「ドライ派」の長い、長い禁酒運動の活動成果としてこの禁酒法が成立しました。ドライ派は、さまざまな社会悪と結びついた酒場をアメリカ社会から追放しようとする教会を中心とした反酒場連盟、反移民の排外主義者、医者、科学者、そして産業資本家などが支援する集団で、禁酒法支持の世論形成に努めました。そうした時、1917年アメリカはドイツとの宣戦を決議し、第一次世界大戦に参戦しますが、酒造業界を牛耳るドイツ系市民への反発も大きな力となり、禁酒法が成立しました。
1929年10月24日ニューヨークの株価の大暴落に始まる大恐慌が、禁酒法に反対する「ウェット派」に大きな力を与えました。大恐慌によって、1000万人を超える失業者があふれたため、雇用対策と税収入の増加による不況対策の必要性が叫ばれたためです。1932年の民主党党大会において第18条の全面廃止が決まり、フランクリン・ローズヴェルトが大統領候補者に選ばれました。1933年3月ローズヴェルトが大統領に就任、12月5日憲法修正21条発効により憲法修正18条は廃止されました。
ここに「高貴な実験」とよばれた「禁酒法の時代」は終わりを迎えたのです。
今回は岡本勝氏の著作、「禁酒法=「酒のない社会」の実験」を参考にさせていただきながら、アメリカの禁酒法について書かせていただきました。