日本酒

備前児島酒(2003年2月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜

 今回は城下町の銘酒として有名になっていた「備前児島酒」について、加藤百一氏の「城下町の銘酒」(日本醸造協会誌第九七巻第十号)を参考にして書きます。

 「備前児島酒」というブランド名が最初にでてくるのは、宇喜多秀家から「児島大樽」を拝領したという「鹿苑日録」(一五九七年三月二二日条)の記事であるといわれています。 鹿苑日録は鹿苑院の歴代僧録の日記を集めたものです。 また、その他の史料にも見られますので、「備前児島酒」が京において銘酒として知られていたことが推察できます。


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「荒走り」の誕生(2002年11月)

宮下酒造株式会社 企画研究部

 当社の平成14年度の清酒製造は今までで一番早い9月30日から始まりました。 これは今年度から蔵人(季節労働者)にかわって当社社員による酒造りをスタートさせたためでした。 つまり、一週間に前年度は3.5本仕込みを行っていたのが、今年度は2本仕込むだけにかわり、短期間でたくさん仕込むのではなくて長期間で仕込むことにより労働負担を軽くしようと試みたからです。 ですから、9月30日という早い時期からスタートし、6月の初旬まで酒造りをする予定になっています。


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「武蔵鍔」について(2002年11月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜

 2003年度のNHKの大河ドラマに「宮本武蔵」が決まり、岡山県ではこの機会を利用して、観光に力を入れようとしています。 そこで、当社といたしましても「武蔵鍔」(むさしつば)という銘柄の清酒を11月より新発売いたしました。


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「雄町米で造る純米酒体験ツアー」開催される(2002年7月号)

岡山県酒造組合連合会
会長 宮下附一竜

 6月23日午前10時より岡山市国府市場のおいて、第二回「雄町米で造る純米酒体験ツアー」の田植え行事を、一般公募により申し込まれた約80名の参加者を得て開催いたしました。

 この行事は「岡山県産酒の再生戦略」のイベント行事として昨年から実施されているもので、10月中旬には稲刈り、来年1月にはそのお米でお酒の仕込みに参加していただく企画です。


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吉備の豊酒(きびのとよざけ)について(2001年10月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下 附一竜

 今月は万葉集に出てくる「吉備の酒」についてお話したいと思います。

 古代吉備国は今の岡山県(備前、美作、備中)と広島県の一部(備後)をあわせた広い地域に形成された勢力で、大和政権に匹敵する力があったと言われています。 稲作の発達していた吉備国の豊酒はそのころより有名であったと思われます。 その証しに、万葉集(巻四 五五四)に丹生女王(にふのおおきみ)が九州の大宰府の長官大伴旅人(おおとものたびと)に贈った次の歌があります。


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「医食同源」について(2001年9月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下 附一竜

 中国では、「医食同源」ということがいわれます。 これは食べることの大切さを教えるもので、「医学と食事は根本的には同じである」という食の哲学です。

 このように大切な食生活を現代の日本人は軽視しているのではないか、という問題提起をされているのが「食の堕落と日本人」の著者小泉武夫先生です。


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酒の効用について(2001年4月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下 附一竜

 3月のトピックスでは、日本酒の衰退の原因は、「日本の文化や伝統に支えられてきた日本酒の飲酒習慣が、日本文化の後退とともに消えつつあること」にあるのではないかというテーマでした。今月は、酒の効用について考えてみたいと思います。


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酒と文化変容について(2001年3月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下 附一竜

 2月のトピックスでは、「和酒」(日本文化)が「洋酒」(西洋文化)に駆逐されているのではないか、というテーマでお話しましたが、 その背景に日本文化の変容があるのではないかということを今月のテーマとさせていただきます。


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「和酒」と「洋酒」について(2001年2月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下 附一竜

 酒類の消費の大きなトレンドについて、次のような仮説をたててみましたのでご批評ください。

<仮説>明治維新以後、第二次世界大戦を経て、現在にいたる過程は、「和酒」(日本文化)が「洋酒」(西洋文明)に駆逐され続ける過程ではないでしょうか。そこで次のようなグラフを書いてみました。


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