備前児島酒

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純米吟醸 二段仕込 雄町米100% 備前児島酒 500ml

2016年7月19日火曜日 Eテレ 先人たちの底力 知恵泉 「夫婦が危機を乗り越えるには?宇喜多秀家と豪姫」

7月19日放送のEテレ 先人たちの底力 知恵泉 「夫婦が危機を乗り越えるには?宇喜多秀家と豪姫」という番組の中で、戦国大名宇喜多秀家が、1590年に岡山城の新築と城下町の整備に着手した頃、児島諸白として京において有名であったお酒を復元しようとした備前児島酒が取り上げられました。

NHK 岡山放送局のアナウンサーの星麻琴さんが、弊社に取材にいらっしゃいました。備前児島酒は番組の中でもお飲みいただき、出演者の高橋英樹さん、村井美樹さん、山本博文先生に絶賛していただけました。

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備前児島酒 知恵泉1
備前児島酒 知恵泉2
備前児島酒 知恵泉3
備前児島酒 知恵泉4
備前児島酒 知恵泉5
備前児島酒 知恵泉6

2008年11月6日木曜日 山陽新聞 色鉛筆

色鉛筆

 岡山市が来年四月、政令指定都市に移行するのを記念し、宮下酒造(同市西川原)は約四百年前に岡山城下で造られていたとされる日本酒「備前児島酒」を復元した。

 当時の製法が記された文献に沿って製造。麹の比率を高くし、仕込みも二回に抑えて酸味を出した。リキュールのような甘さも特徴という。「岡山市の街の原形ができた時代の酒。政令市となり、一層の発展を願う。」と宮下附一竜社長。

 五百ミリリットル入りで、焼酎「岡山物語」と組み合わせ、八百セット限定で発売(三千六百七十五円)。五日、宮下酒造から説明を受けた高谷茂男市長は「いいアイデア。政令市移行の盛り上げになる」と喜んでいた。

2008年11月05日水曜日 OHK 岡山放送、RNC 西日本放送、RSK 山陽放送

400年前の製法再現
政令市移行記念酒 販売

 OHK 岡山放送 『スーパーニュース』、RNC 西日本放送 『リアルタイム』、RSK 山陽放送 『イブニングニュース 』などで、岡山・政令指定都市記念酒セットの発売と弊社社長が髙谷茂男 岡山市長を訪問した様子が放送されました。

400年前の製法再現 政令市移行記念酒 販売
400年前の製法再現 政令市移行記念酒 販売
400年前の製法再現 政令市移行記念酒 販売

2008年8月1日金曜日 岡山日日新聞 「備前児島酒」を復元 政令市祝い今秋発売

「備前児島酒」を復元 政令市祝い今秋発売

 宮下酒造(岡山市西川原、宮下附一竜社長)は、岡山市の政令市移行を記念した日本酒「備前児島酒」を今秋から発売する。政令市移行を祝う日本酒の発売は初めて。

 1590年ごろ、児島半島にある同市郡地区の酒屋で醸造された「備前児島酒」は、宇喜多秀家(1572-1655)が豊臣秀吉の茶会に持ち寄り、評判を受けたという逸話がある。

 酒屋と岡山の町の結び付きも深く、1595年に秀家が岡山城を新築する際、郡地区の酒屋を城下町に移したことに始まったとされる。

 当時の酒を再現しようと、同社が製造に着手。当時の文献を頼りに今春までに完成させた。

 レトロ感漂う青色の瓶に入った「備前児島酒」は、県産雄町米を使用し、麹(こうじ)割合は33%と現在の日本酒(20%)と比べ高くアミノ酸たっぷり。水で薄める割合も少なく、甘さを引き立てた。二段仕込みにより酸味を上げ、濃厚な味わいにアクセントを利かせた。

 今回は「備前児島酒」の製造開始と同時期に伝来した焼酎をセットで発売する。銘柄は本格焼酎「岡山物語」。米焼酎でアルコール度数は35度と高めだが、シェリーだるで長期熟成しており、まろやかな味に仕上がった。

 2本各500ミリリットルで3675円。政令市移行が閣議決定された日から、百貨店などで発売を始める。今年は限定800セットだが、来年春までに増産も計画している。

 宮下社長は「何かできないかと手探りで挑戦した。岡山市の発展は宇喜多秀家が原点と思いをはせなあら、味わってほしい」と話している。

岡山・政令指定都市記念酒のご案内(2008年8月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜

 岡山市は平成二一年四月政令指定都市に移行します。政令市に移行することは、岡山市が大都市の仲間入りをすることになり、誠に慶賀に堪えません。

 そこで、弊社では、岡山市の政令指定都市移行をお祝いして、記念酒を発売することにしました。記念酒は、日本酒「備前児島酒」と本格焼酎「岡山物語」の二本入りセットです。


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備前児島酒(2003年2月号)

宮下酒造株式会社
社長 宮下附一竜

 今回は城下町の銘酒として有名になっていた「備前児島酒」について、加藤百一氏の「城下町の銘酒」(日本醸造協会誌第九七巻第十号)を参考にして書きます。

 「備前児島酒」というブランド名が最初にでてくるのは、宇喜多秀家から「児島大樽」を拝領したという「鹿苑日録」(一五九七年三月二二日条)の記事であるといわれています。 鹿苑日録は鹿苑院の歴代僧録の日記を集めたものです。 また、その他の史料にも見られますので、「備前児島酒」が京において銘酒として知られていたことが推察できます。


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