宮下酒造の歩み
創業ヒストリー ~ 兄弟で築いた酒蔵 ~
宮下酒造を創業した宮下亀蔵、元三郎兄弟は、赤磐郡(現赤磐市)で生まれました。二人は幼いうちに父親を亡くしたため、親戚の下へ預けられました。親戚が酒造業を営んでいたので、そこで経験を積んだ二人は、1909年(明治42年)の宇野港が築港されたのを受けて、1915年(大正4年)、岡山県玉野市で新たに清酒の醸造を開始しました。これが宮下酒造の始まりです。
恵まれた水を求めて
1967年(昭和42年)、岡山三大河川の1つである旭川のほとりの現在地(岡山市中区西川原)へ蔵を移転いたしました。旭川の伏流水を地下100メートルからくみ上げて仕込み水に使っております。近くには日本三大名園の1つである後楽園や日本名水百選に選ばれた雄町の冷泉もあり、酒造環境は非常に恵まれています。
岡山の銘酒 極聖
代表銘柄である清酒「聖(ひじり)」の名は、万葉の歌人・大伴旅人が詠んだ和歌「酒の名を聖と負せし古の大き聖の言のよろしさ」から取られました。甘口が主流の岡山にあって、辛口を身上とする酒として1974年(昭和49年)から醸しています。大吟醸は最高峰という意味で、聖の上に「極」の文字を冠し、「極聖(きわみひじり)」と命名。全国新酒鑑評会での金賞受賞回数は岡山県下最多となっております。現在は、代表銘柄を「極聖」に移行しております。
地ビール 独歩
1994年、ビール製造数量の規制が2000klから60klに緩和されたのを受けて、1995年7月から全国で9番目、中国地方では初となる地ビール「独歩(どっぽ)」を製造開始いたしました。「独歩」という名前は、「日本のマイクロ・ブルワリーとして、独立独歩、特色のある、信念のビールを醸造しよう」という意気込みから名づけられました。伝統的なビールに加え、季節性や地域性のある多様なビールの研究開発に取り組んでいます。
総合酒類メーカーを目指して
宮下酒造は、清酒、ビールの他にも焼酎、リキュール、発泡酒、スピリッツ、ウイスキーなどあらゆる酒類を製造する総合酒類メーカーを目指しています。現在、東京、大阪の大都市圏はもちろん、米国、ヨーロッパ、中国などのアジア諸国へ酒類の輸出を拡大しております。